石川佳純の父の会社は広告代理店!読売広告西部の専務取締役で超エリート

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2023年5月に現役引退を発表した石川佳純さん。

2024年のパリ五輪ではフジテレビ系『パリオリンピック』中継のスペシャルキャスターに就任と、幅広い活躍をされています。

そんな石川佳純さんの父の会社は広告代理店。株式会社 読売広告西部の専務取締役と超エリート。

自身も長く卓球の経験があり、忙しい仕事の傍ら娘の卓球を熱心に応援したり、地元の子供へも卓球を教えています。

現役引退後の佳純さんには、仕事の相談にのったり、仲良しだそうです。

この記事では

・石川佳純の父の会社は広告代理店。読売広告西部の専務取締役!
・石川佳純の父は仕事の傍ら卓球指導も
・石川佳純の父、現役引退後の娘へかけた言葉が泣ける

について、まとめてみました。

目次

石川佳純の父の会社は広告代理店!読売広告西部の専務取締役

(出典:洋服の青山)

石川佳純さんの父・石川公久(きみひさ)さんは島根県松江市出身。

福岡の大学を卒業後、1986年に読売広告西部に入社し、2024年現在はの専務取締役を務めています。

入社以来、営業畑でやってきた、という石川公久さん。

営業ひとすじで40年近くやってきましたが、自分に合っている仕事だったと思います。

営業の魅力は何と言っても、いろんな方々と出会えること。今まで多くの企業トップの方とお会いしました。自慢じゃないですが私、“じじゴロシ”なんです(笑)色々会社の社長さんなど年配の方々に非常にかわいがっていただきました。

人と人との繋がりとコミュニケーションを大切にしたからこそ生まれた仕事を長年やってきました。

(y-aoyama.jp)

人とのつながりを何よりも大事に仕事をされていたそう。お客様に何かあれば休日でも駆け付けたと言います。

体調が悪くても仕事を休まない父を尊敬している

娘の石川佳純さんが、インタビューでこう答えているのを見たときは、とても嬉しかったそうです。

石川佳純の父は仕事の傍ら卓球指導も

小学校から大学まで卓球部に所属し30歳からはクラブチームで活動

(出典:洋服の青山)

石川公久さんは、小学校から大学まで卓球部に所属し、30歳からはクラブチームで卓球を再開しています。

石川佳純さんの母、久美さんも卓球の国体選手。卓球一家なのですね。

公久さんは現在、福岡で単身赴任中だそうですが、週末に山口の自宅に帰宅した際は、卓球教室を開いて子どもたちを指導しています。

退職後の夢を聞くと「石川佳純以上の選手を育てないけんしね」と、愛娘にそっくりな人懐っこい笑顔を見せた。

日刊スポーツ (nikkansports.com)

公久さんの笑顔が想像できますね。なんとも素敵な夢をお持ちで、素晴らしいと思います。

自宅に卓球場を作ってしまう

(出典:朝日新聞デジタル)

福岡出身の石川佳純さんの母、久美さんも卓球をしてたそう。レベルの高い福岡では国体出場が叶わず。

公久さんの山口県への転勤をきっかけに、久美さんは山口で国体を目指し見事に出場を果たします。

当時は学校の体育館で練習をしていたそうですが、家を新築するタイミングで自宅に卓球場を作ったとのこと。

それじゃあ将来、卓球教室でも開けばいいかなと家を新築するときに卓球場も造ったんです。そうしたら、佳純もやりたいと言い出した。

Yahoo!ニュース

この自宅の卓球場で、毎日19:30~21:00に佳純さんは練習に励んだそう。

ちなみに土地代も含め4,000万ほどかかったそうですが、

人生は巡り合わせですが、私が山口県に転勤にならなかったら、佳純も卓球をやらなかったかもしれません。

と語っていました。

娘に卓球をやりなさい、とは一度も言ったことがない

(出典:スポーツ報知)

日刊スポーツのインタビューによると、石川佳純さんの父公久さんは、佳純さんに卓球をやりなさい、と言ったことは一度もないそう。

「『卓球をやりなさい』と言ったことは1度もない。急に本人がやりたいって言い出したから、じゃあやろうかっていうぐらいだった。

今の強い選手って結構小さい時から親御さんがスパルタでやったりとかしてるけど、うちはそんなのほとんどなかったなあ」と、振り返る。

日刊スポーツ (nikkansports.com)

中学で親元を離れ、大阪での卓球の道を選んだ時も、「自分が好きで選んだ卓球の道だから行ってきなさい」と送り出したそう。

のびのびと見守ってくれた父の影響が、今の石川佳純さんの土台になっているのでしょうか。

娘への愛情が泣ける

子どもの夢を応援する喜びは大きい

(出典:スポニチ)

石川佳純さんの父、公久さんは、佳純さんが小さい頃は仕事が終わってから練習相手を務め、試合に出るようになったら、遠征にきっちりと連れて行ったそう。

休みなしの生活は結構大変だったのでは?と聞かれると

子どもの夢をかなえるために努力していること、応援する喜びの方が大きかったですね。

と答えていました。

父母のみならず、しだいに両家の家族まで応援に来るようになったとのこと。

佳純がある程度、勝ち出してから、私も女房も佳純のための生活になりましたね。

この日は広島で練習試合がある、翌日は岡山。そうなるときっちり、連れていくわけです。

そうしているうちに、私の両親も、女房の両親も応援に来るようになった。両家の家族がこぞって佳純の応援に行く。あの子には、そうした人を惹きつける魅力がありましたね。 

dメニューニュース(NTTドコモ) (docomo.ne.jp)

引退した娘へ贈る言葉

(出典:読売新聞オンライン)

石川佳純さんは、引退発表後すぐに福岡に帰り、久しぶりに家族4人で過ごしたそう。

父、公久さんは佳純さんの明るい表情を見て、やり切ったんだろうなと感じた、とのこと。

そんな佳純さんに対し、父、公久さんはスポーツ報知に手記を寄せています。

佳純、長い間本当にお疲れさまでした。よく頑張ったね。

佳純の試合を応援に行くのが私の働きながらのライフワークだった。ロンドンやリオ五輪も現地で見させてもらって、試合に行って応援できるような選手になってくれたことが一番の親孝行だった。

楽しみを与えてくれて、ありがとう。

スポーツ報知 (hochi.news)

現役引退後も、電話やLINEで頻繁に連絡を取り合っているという二人。

仕事のアドバイスを求められることもあるそう。 2024年パリ五輪ではキャスターに抜擢された石川佳純さん。

公久さんは「ちゃんと下調べしてからインタビューしろよ」と助言に対し、佳純さんからは「わかってる」と返信が来るとか。そして

現役中はできなかった「普通のこと」がたくさんあると思う。
今後はどんどん新しいことにチャレンジしていってほしい。

と願っていました。

優しさがたくさん伝わってきます。今後の石川佳純さんと父公久さんのご活躍、応援しています!

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